宇宙世紀事始め Ⅰ その3
「スペースコロニー開発と反連邦運動の台頭」
「スペースコロニー開発と反連邦運動の台頭」
旧暦(西暦)の末期、人類は増えすぎた人口による食糧需給の逼迫や、国境をまたいだ深刻な越境環境汚染などによって、国家間の紛争が頻発し、文明の崩壊すら招きかねない、深刻な事態に直面していた。
この困難を解決する手段として計画されたのが、宇宙植民計画であり、この計画を開始した年以降を、宇宙世紀と呼んでいる。
宇宙植民計画は、旧世紀(20世紀)のアメリカの物理学者であり宇宙開発先駆者の一人、ジェラルド・K・オニールの計画が基礎となっている。
人類の生活領域を惑星表面に限らず、宇宙空間に浮かぶ巨大構造物=スペースコロニーへと広げることで、無尽蔵の太陽エネルギーを効率よく利用できるようになり、人々には豊かで快適な生活環境が約束されるという、バラ色の壮大なビジョン……。
宇宙世紀では、一般にオニール考案の島3号タイプに近い形式のスペースコロニーが採用されることとなった。
これらの建設資材は、月面や、地球近傍へと運ばれた小惑星から調達されている。これは、地球から莫大な資材を運び上げるよりも、桁違いにローコストでコロニーの建設が可能になったからだ。
「開放型」と呼ばれる、シリンダー型のコロニーの平均サイズは、直径6.4km、長さ36.0km。円筒内部が軸方向にそって6つの区画に分割され、人々が生活する陸と、外部から太陽光を取り込む窓が、交互に各3面ずつ配置されている。
窓の外側には太陽光を受ける巨大なミラーが設置されており、そこで反射した光が対面する陸地を照らし出す。太陽に対するミラーの角度を調整することで、季節感や時間経過などの日照のコントロールが行われている。
スペースコロニーの主要なエネルギー源は太陽エネルギーであるため、ミラーは常に太陽の方向を向くように制御されている。つまりミラーの付け根は、必ず太陽とは反対側にあるわけだ。
この太陽と反対側の端の根本から、半径14.35kmの円周上に、ドーム型の農場プラントが多数配置されている。それぞれの農場は、ミラーの影に隠れない3つのブロックに別れて配置されており、コロニーの住人の食料を補って余りある生産能力がある。ただし、余剰分は半ば義務的に地球連邦への輸出に当てられるため、コロニーでの暮らしは決して楽ではない。
コロニーは長軸を中心に自転することで、1Gの疑似重力を作り出している。
人類にとって必要な重力がどの程度かは議論の分かれるところだが、少なくとも無重力下で長期間暮らすと、骨からカルシウムが失われ脆くなるなどの、生理学的な障害が起きる事が解っている。
また、回転重力によってめまいが起きない最低のサイズと速度は半径500m、毎秒1回転で、回転半径がこれより大きいか、回転がゆっくりならば、人々の生活には支障が出ることはない。
宇宙世紀のコロニーでは多くの場合、故郷の地球と同じ1Gに近い環境が選択されることとなった。
宇宙植民構想は、破滅に瀕した人類が生き延びる唯一の希望ではあったが、そのビジョンを具体的に実現することは、一筋縄ではいかない難事業だった。そこには、計り知れない数の人々の不断の努力、そして無数の犠牲があったことは否めない。
真空の宇宙空間の中に、人類の生存が可能な巨大構造物を作り上げることは、多くの試行錯誤を必要とし、想定外の欠陥や、数多くの深刻な事故を乗り越える必要があった。
大気リサイクルの不備による大気汚染や、小天体の衝突による隔壁の破損などによって、失われた命も少なくない。
しかし、これらの苦難の積み重ねが、宇宙世紀の礎となった。たとえば隔壁が破損しても、バルーン型の補修剤を流出気流に乗せて損傷箇所に集中させ、すみやかに補修する技術など、宇宙植民に欠かせない基本的なテクノロジーの多くは、この時代に洗練されたものだ。
宇宙世紀におけるスペースコロニーの大半は開放型だが、唯一例外がある。
サイド3、ムンゾ、後のジオン公国となったコロニー群は、独特の「密閉型」コロニーを採用している。
サイドとは、スペースコロニーの建設計画の順をあらわしていて、サイド1、サイド2はラグランジュ・ポイントのL4とL5周辺で建設が始まった。
しかし、透明窓や巨大なミラーなどハイレベルの技術が必要だったこともあり、工事は難航、事故も頻発して、計画は大幅に遅れ、このままではコロニー計画全体が頓挫するとの報道もたびたび行われるようになった。
そんなとき、より現実的なテクノロジーを使って、すみやかに宇宙移民を実現させようと考案されたのが、密閉型コロニーだった。
密閉型コロニーの平均の長さは開放型と同じく36.0km。シリンダー直径も 6.41kmと、開放型とほぼ同じくらいのサイズで建造された。
必要な電力は、周辺に浮かべた太陽発電プラントから供給される仕組みになっている。
密閉型は、開放型に比べて技術的に簡単なため、工期も短く、コストも安くつく。さらに、太陽光を取り入れる窓部分が必要ないため、陸地面積が開放型より広く取れ、単純計算で二倍の人口を収容できる。
建造コストの安価なコロニーを、より多くの人でシェアするため、移民のための経済的負担も少なくなる。一刻も早く、低価格で宇宙での生活を望む人々にとって、ムンゾは当初、理想のコロニーと考えられた。
しかし、密閉型ならではの住み心地の悪さは、確かに存在していた。たとえばコロニー内の地上から見上げた空は、対面する陸地の色の影響によって常に曇り空のような青みがかかった灰色に淀んでいる。地球暮らしを知っている第一世代の住民にとっては、密閉型コロニーは心地よいものではなかった。
そのため、開放型についての技術的な課題が克服されると、多くの人々はより高級感のある開放型を望むようになり、サイド4以降のコロニーもすべて開放型が採用されることとなった。
U.C.0057。
宇宙移民が始まって半世紀が過ぎた頃、ムンゾに反連邦の論旨で注目を集める活動家が現れる。のちのムンゾ自治共和国の議長となる、ジオン・ズム・ダイクンだ。
時代に登場したこの指導者は、密閉型コロニーに移住した移民第二世代であり、宇宙に進出したスペースコロニーの居住者達がスペースノイドと呼ばれる人類の革新者として進化して地球に住むアースノイドを凌駕する形質を獲得する、という自説を展開した。
その先鋭的な思想は、地球連邦政府から危険視され始めていた。
この時期、その身柄を拘束しようという動きが、ムンゾ駐留の連邦機関に起きる。
そんな時、ダイクンをかくまったのが、後のダイクンの側近となるデギン・ザビだった。
ムンゾの密閉型のスペースコロニーで、後の大いなる戦乱の火種を生む思想は確実に蔓延していった。
歴史に「If」は無意味だが、ダイクンがもし、サイド3以外に住む者であったなら?
時代は、ほかの道を歩んだのかもしれない。
この困難を解決する手段として計画されたのが、宇宙植民計画であり、この計画を開始した年以降を、宇宙世紀と呼んでいる。
宇宙植民計画は、旧世紀(20世紀)のアメリカの物理学者であり宇宙開発先駆者の一人、ジェラルド・K・オニールの計画が基礎となっている。
人類の生活領域を惑星表面に限らず、宇宙空間に浮かぶ巨大構造物=スペースコロニーへと広げることで、無尽蔵の太陽エネルギーを効率よく利用できるようになり、人々には豊かで快適な生活環境が約束されるという、バラ色の壮大なビジョン……。
宇宙世紀では、一般にオニール考案の島3号タイプに近い形式のスペースコロニーが採用されることとなった。
これらの建設資材は、月面や、地球近傍へと運ばれた小惑星から調達されている。これは、地球から莫大な資材を運び上げるよりも、桁違いにローコストでコロニーの建設が可能になったからだ。
「開放型」と呼ばれる、シリンダー型のコロニーの平均サイズは、直径6.4km、長さ36.0km。円筒内部が軸方向にそって6つの区画に分割され、人々が生活する陸と、外部から太陽光を取り込む窓が、交互に各3面ずつ配置されている。
窓の外側には太陽光を受ける巨大なミラーが設置されており、そこで反射した光が対面する陸地を照らし出す。太陽に対するミラーの角度を調整することで、季節感や時間経過などの日照のコントロールが行われている。
スペースコロニーの主要なエネルギー源は太陽エネルギーであるため、ミラーは常に太陽の方向を向くように制御されている。つまりミラーの付け根は、必ず太陽とは反対側にあるわけだ。
この太陽と反対側の端の根本から、半径14.35kmの円周上に、ドーム型の農場プラントが多数配置されている。それぞれの農場は、ミラーの影に隠れない3つのブロックに別れて配置されており、コロニーの住人の食料を補って余りある生産能力がある。ただし、余剰分は半ば義務的に地球連邦への輸出に当てられるため、コロニーでの暮らしは決して楽ではない。
コロニーは長軸を中心に自転することで、1Gの疑似重力を作り出している。
人類にとって必要な重力がどの程度かは議論の分かれるところだが、少なくとも無重力下で長期間暮らすと、骨からカルシウムが失われ脆くなるなどの、生理学的な障害が起きる事が解っている。
また、回転重力によってめまいが起きない最低のサイズと速度は半径500m、毎秒1回転で、回転半径がこれより大きいか、回転がゆっくりならば、人々の生活には支障が出ることはない。
宇宙世紀のコロニーでは多くの場合、故郷の地球と同じ1Gに近い環境が選択されることとなった。
宇宙植民構想は、破滅に瀕した人類が生き延びる唯一の希望ではあったが、そのビジョンを具体的に実現することは、一筋縄ではいかない難事業だった。そこには、計り知れない数の人々の不断の努力、そして無数の犠牲があったことは否めない。
真空の宇宙空間の中に、人類の生存が可能な巨大構造物を作り上げることは、多くの試行錯誤を必要とし、想定外の欠陥や、数多くの深刻な事故を乗り越える必要があった。
大気リサイクルの不備による大気汚染や、小天体の衝突による隔壁の破損などによって、失われた命も少なくない。
しかし、これらの苦難の積み重ねが、宇宙世紀の礎となった。たとえば隔壁が破損しても、バルーン型の補修剤を流出気流に乗せて損傷箇所に集中させ、すみやかに補修する技術など、宇宙植民に欠かせない基本的なテクノロジーの多くは、この時代に洗練されたものだ。
宇宙世紀におけるスペースコロニーの大半は開放型だが、唯一例外がある。
サイド3、ムンゾ、後のジオン公国となったコロニー群は、独特の「密閉型」コロニーを採用している。
サイドとは、スペースコロニーの建設計画の順をあらわしていて、サイド1、サイド2はラグランジュ・ポイントのL4とL5周辺で建設が始まった。
しかし、透明窓や巨大なミラーなどハイレベルの技術が必要だったこともあり、工事は難航、事故も頻発して、計画は大幅に遅れ、このままではコロニー計画全体が頓挫するとの報道もたびたび行われるようになった。
そんなとき、より現実的なテクノロジーを使って、すみやかに宇宙移民を実現させようと考案されたのが、密閉型コロニーだった。
密閉型コロニーの平均の長さは開放型と同じく36.0km。シリンダー直径も 6.41kmと、開放型とほぼ同じくらいのサイズで建造された。
必要な電力は、周辺に浮かべた太陽発電プラントから供給される仕組みになっている。
密閉型は、開放型に比べて技術的に簡単なため、工期も短く、コストも安くつく。さらに、太陽光を取り入れる窓部分が必要ないため、陸地面積が開放型より広く取れ、単純計算で二倍の人口を収容できる。
建造コストの安価なコロニーを、より多くの人でシェアするため、移民のための経済的負担も少なくなる。一刻も早く、低価格で宇宙での生活を望む人々にとって、ムンゾは当初、理想のコロニーと考えられた。
しかし、密閉型ならではの住み心地の悪さは、確かに存在していた。たとえばコロニー内の地上から見上げた空は、対面する陸地の色の影響によって常に曇り空のような青みがかかった灰色に淀んでいる。地球暮らしを知っている第一世代の住民にとっては、密閉型コロニーは心地よいものではなかった。
そのため、開放型についての技術的な課題が克服されると、多くの人々はより高級感のある開放型を望むようになり、サイド4以降のコロニーもすべて開放型が採用されることとなった。
U.C.0057。
宇宙移民が始まって半世紀が過ぎた頃、ムンゾに反連邦の論旨で注目を集める活動家が現れる。のちのムンゾ自治共和国の議長となる、ジオン・ズム・ダイクンだ。
時代に登場したこの指導者は、密閉型コロニーに移住した移民第二世代であり、宇宙に進出したスペースコロニーの居住者達がスペースノイドと呼ばれる人類の革新者として進化して地球に住むアースノイドを凌駕する形質を獲得する、という自説を展開した。
その先鋭的な思想は、地球連邦政府から危険視され始めていた。
この時期、その身柄を拘束しようという動きが、ムンゾ駐留の連邦機関に起きる。
そんな時、ダイクンをかくまったのが、後のダイクンの側近となるデギン・ザビだった。
ムンゾの密閉型のスペースコロニーで、後の大いなる戦乱の火種を生む思想は確実に蔓延していった。
歴史に「If」は無意味だが、ダイクンがもし、サイド3以外に住む者であったなら?
時代は、ほかの道を歩んだのかもしれない。