第36回
総監督
安彦 良和
連載開始からついに4年目を迎える関係者リレーインタビュー。今回は、『シャア・セイラ編』全4話が完成し、新たに『ルウム編』2部作がスタートするというタイミングに合わせて、再び総監督である安彦良和さんが登場。久しぶりにアニメ制作に関わることになった『シャア・セイラ編』完結の感想、新たに始まる『ルウム編』に向けた意気込みと作品に込めた思いを語ってもらった。
あとは、カイ役の古川(登志夫)さんですかね。第4話ではほんのわずかなセリフしかなかったのだけど、声を発した時にスタジオ内からちょっと「さすが古川さんだ」というような空気が伝わってきたのですよ。今回はお芝居がさらに多いので、楽しんでいただければと思いますね。古川さんは普段は大人しく、控えめな方なのですが、役になると弾けるのですよね。その弾け方が皆さんにとっては目が覚めるような感じみたいで。だから、ビックリしつつも、ご健在で安心しました。
先日、片渕須直監督の『この世界の片隅に』という作品を観たのですが、その描き方にはまったく同感でした。戦場を過酷に描くということで怖さを表現するというやり方もあると思うけど、それをほとんど描かずに庶民の日常を描くことで、むしろ逆に判る怖さがある。「この人たちの生活や存在がどうなってしまうのか?」と。焼夷弾が落ちたらこのささやかな営みが消えてしまうのだよと。それが何万、何千と集約するわけだから、どれだけ怖いことかと。実際の流血の修羅場ではなくて、そこは想像力で受け止めるところなのですよね。そういう部分は漫画原作を手掛けている時も意識して描いていたので、我が意を得た気分でした。
特に宇宙戦争は下手をすると花火大会になってしまう。でも、現実的に考えれば、一隻撃沈されれば、そこにたくさんの人が乗っていて酷いことになっているわけです。毒ガスを使って一般人を巻き込んで、さらにコロニー落としをするとなればもっと酷い。そうしたところを浮ついた気持ちで描いてしまうとガンダムはとても罪な作品になってしまうのですよね。だからそこは大事に、気を使って描いています。例えばコロニー内でのシェルターに避難する市民たちを描いたモブシーンでは、その中にどんなお年寄りや子供たちがいて、どんな表情をしているのか。そういう部分にもこだわっているので、ぜひしっかり見て欲しいですね。
リレーインタビュー連載、次回はサンライズのプロデューサーの谷口理さんが再登場です。谷口さんにも『シャア・セイラ編』完結の感想と『ルウム編』に向けた意気込みを語っていただきます。
—— まずは『シャア・セイラ編』と銘打たれた4話分が終わり、ひと区切りついた感想をお聞かせください。
安彦 アニメでは『シャア・セイラ編』が4話構成となっていますが、漫画原作になぞらえれば「シャア・セイラ編」が2話、「開戦編」が2話という形になっているんです。制作的には当初4本までは作らせていただけるという話だったので、そこまでは無事に終わることができて、内容的にはやっと「開戦」まで辿り着いたという感じです。
—— 改めて、アニメ制作に関わってみた印象はいかがでしたか?
安彦 実質スタジオが動き始めたのが2014年で、約3年で4本作ったんですよね。総監督と言っても、現場であるスタジオにはほとんど顔を出さないで制作をしてきたので、「こんなに楽をさせてもらっていいのかな?」って思うほどスタッフには本当に感謝しています。基本的には絵コンテと第一原画のチェックという、自分でわかる範囲を任せてもらって、判らないところには顔を出しても邪魔になるのでそこは遠慮しようという考えでした。僕はスタッフの裏の苦労を知らないんだけど、作業に関しても最初からうまくいっていたと思っています。現場作業の善し悪しは、出来上がった画面から判断するだけですが、そういう意味では「こんなはずじゃなかった」、「俺はちゃんと言ったのに」ということはほとんど無くて、上手く行っていると確信していますし、そう思える作品作りをできたのは幸せなことですよね。
—— モビルスーツをはじめとしたメカにはCGを使用されていますが、CGと作画の融合に関しては、映像を見られてどんな感想を持たれましたか?
安彦 かなりいいと思っています。僕自身がCGに対してアレルギーがあるように思われているみたいなのですが、そんなことはないのですよ。メカを動かすのに動画の中割で苦労している時代を知っているので、CG制作のスタッフがこれだけやってくれているのでその仕上がりには満足しています。もちろん、よりCGをなじませるためとか、よりCGを活用することに関してはまだ課題があるのだろうとは感じますが、それは現場でも日々向上しようとやってくれていますからね。
—— CGの見せ方も含めて、画角やレイアウトにこだわったことで、映像のクオリティが上がっているように感じます。
安彦 僕はこのやり方がレイアウトシステムだと思っているのですよ。僕の描いた絵コンテをレイアウトとして解釈してくれと、スタッフには口を酸っぱくして言ってきて、そのシステムがうまくいっている。レイアウトシステムというのを僕が現役時代に意識してやっていたのは『クラッシャージョウ』と『巨神ゴーグ』の2つですが、この作品でレイアウトというか第一原画を描いていたのが僕なので、当時はかなりの負担だったんです。でも、絵コンテをもとにするシステムは効率がいいので、これでもいいのだと今は感じています。『ルウム編』に関しては、カトキ(ハジメ)さんと演出の江上(潔)さんもコンテを担当していて、それについても僕がニュアンス面でフォローする形をとっているのが上手く行っていて、「こういうやり方があったか」と今頃になって思っていますね。
—— 絵コンテに描かれたコマをレイアウトとして使用するのは、他ではほとんど聞かないシステムですよね。
安彦 僕は漫画家で、漫画は1ページに5〜6コマ描かなくちゃならないので、ひとつのコマは小さくなってしまう。その小さいコマの中に絵を描くということを20年以上やってきたから、コンテ用紙の小さいコマに描き込むのは苦にならなくて。これは、漫画家をやってきた御利益かなと思っているのです。あのコンテ用紙の大きさがいいのですよ。あれがちゃんとしたフレームサイズのレイアウト用紙になると仕事の質が変わってしまって、適度に手を抜けない大変な仕事になってしまうんだよね。絵コンテのコマを拡大コピーしてレイアウトにするから、当然ラフなものになってしまうけど、レイアウトシステムとしてはこれでいいのだという確信が持てました。ただ、当初はなかなかこれがレイアウトだということが浸透しなくてね。一方で、このレイアウトシステムのおかげで相当のスケジュールを省くことができている。普段だと、なかなかレイアウトが上がらなくて苦労する部分でもあるから、そこをクリアしているということでは制作にもっと感謝されていいと思っています(笑)
—— 『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』(以下、『THE ORIGIN』)ではアフレコの現場にも積極的に来られていますが、実際にアフレコの収録を見てみた感想はいかがですか?
安彦 『巨神ゴーグ』ではアフレコに1回も行かなかった、アフレコの勝手も未だにわかりません。でも、藤野(貞義)さんというベテランの音響監督がいらっしゃるから大丈夫でしょうと、見学に行っている気分です。
—— 藤野さんとはどのようなやり取りをされているのですか?
安彦 藤野さんはシナリオもそうですが、絵コンテもしっかりと読み込んでくださってありがたいです。楽曲の発注に関しても、僕が何も言わなくても音楽の服部(隆之)さんに細かな説明をしてくださったりする。ガンダム作品もたくさん手掛けていて、僕よりも知識的には豊富だし、そういう意味ではとても安心して見学させていただいています。藤野さんは、それこそまだ若くて「藤野君」と呼ばれていた時期から知っているので、立派になられたなと。彼の師匠である音響監督の千葉(耕市)さんは、もともと役者さんだったから、感情を大事にして演技をさせる方で、千葉さん譲りの部分を受け継いでいるとも感じますね。
—— アフレコ現場で声優さんと話をされたり、要望を伝えたりはされているのですか?
安彦 声優のみなさんとは収録の時にしかお会いできないし、ガラスのむこうがよく見えないので、顔と名前が一致しないのですが、『ルウム編』では、ドズルが大きい役回りで活躍するので、ドズル役を演じる三宅(健太)さんには、今回はきちんとお会いして挨拶しました。
—— アフレコ現場の雰囲気はいかがでしたか?
安彦 本当にお客さん状態なので、よくわからないけど、僕としては良い感じじゃないかと思っています。ただ、これは何度もお詫びしているのですが、アフレコに際して、映像素材は原画撮影の段階のものがけっこう多いんです。そうなると濃いお芝居の部分で、キャラクターの演技付けがなかなか伝わり辛い。キャストのみなさんにはいつも苦労をかけてしまっているなと思いますね。
—— キャストのみなさんにお話を聞くと、『THE ORIGIN』のアフレコ現場には独特の緊張感があるそうですが、安彦さんから見た現場の様子はどんな印象でしたか?
安彦 あまり判らないですが、やはりレジェンド感がある作品になっていて、みんなそれを背負っていくことになるわけですからね。「これはガンダムだぞ」とそういう空気を感じてやってくれているならありがたいです。収録に関しては、今が旬である若い声優さんとレジェンドの方々が混ざっているのですよね。そんな彼らのやりとりをガラスの向こう側から見ながら、どうミックスされ、どう仕上がっていくのかは興味深いです。
—— 終わったばかりの第5話の収録で印象深かったことはありますか?
安彦 第5話では、潘めぐみさんが成長したセイラを演じるのですが、その第一声がちょっと成長し過ぎていたんです。第4話はお休みだったし、「もう子供じゃないのよ」という意識で力まれたんでしょうね。そこでお話をしてあくまでも強い少女として演じてもらいました。その結果、優しい乙女から強い少女になったので、「セイラというキャラクターが出来上がったね」と言いました。これでもう大丈夫だと。もともと、潘さんはオーディションでは成長したセイラのイメージで選んで、幼い頃の声もやれるということで今までやってきてもらったのですが、今回本来やってもらいたかった声をいただけたので、出来上がったなと感じましたね。あとは、カイ役の古川(登志夫)さんですかね。第4話ではほんのわずかなセリフしかなかったのだけど、声を発した時にスタジオ内からちょっと「さすが古川さんだ」というような空気が伝わってきたのですよ。今回はお芝居がさらに多いので、楽しんでいただければと思いますね。古川さんは普段は大人しく、控えめな方なのですが、役になると弾けるのですよね。その弾け方が皆さんにとっては目が覚めるような感じみたいで。だから、ビックリしつつも、ご健在で安心しました。
—— 第4話までは、安彦さんの描かれた漫画原作を踏襲しつつ、映像として新たに再構築されていますが、映像だからこその新たな要素についてはどのような感想を持たれていますか?
安彦 とにかく、とても満足しています。「時間があったらもっとここを直したい」というようなところはほとんどないですし、キャスト陣も含めてよくやってもらっていると思います。映像化にあたっては、具体的に変わった部分とニュアンスを変更した部分があって、具体的な部分では、例えば第3話のリノ・フェルナンデスというキャラクターが登場することで物語に厚みが増しました。この展開は、自分の部屋に閉じこもって孤独な作業をしているだけなら出て来ない発想ですよね。同じく第3話のシャアへの赤いライティングや朝日が当たる演出は、今西(隆志)さんのこだわりで描いています。あそこまでキザには僕にはできませんが、おかげで赤という色へのこだわりが印象深くなっていますよね。僕自身が思い至らない部分までこだわってもらっているという感じです。また、それほど大きい変更ではなくても、細かい変更で良くなった部分は随所にあります。そうした、いろいろな発想やこだわりの集大成がいい形で出ているように感じますね。
—— 『ルウム編』に入るにあたってカトキさんが演出で参加されていますが、そこがこれまでとは大きく違う部分でしょうか?
安彦 『ルウム編』は戦闘シーンが一番の売りになるのですが、そこは自分の手に余るかなという思いがあったのです。だから、最初からスペシャリストに頼もうと思っていました。カトキさんが監督をつとめた映画『SHORT PEACE』の中の一編である『武器よさらば』を見ていたので、その時から「この人に何かしてもらおう」と目を付けていたのです。第5話もカトキさんのこだわりがいい感じに出ていると思います。実際に絵コンテ、演出、設定的にも「なるほど、ここまでこだわるか」という実感があるので、そのあたりはさすがですね。彼は、求めるリアリティが半端じゃないですよ。照明の明るさや質感、僕自身も言い続けてきた空間の見せ方にすごくこだわっていて、「艦橋はこんなに広くなくて、こんな感じに見えるはずだ」と僕以上に具体的に言ってくれるし、そうした主張をしたならば妥協せずに後に退かないところがいいのです。
—— 映像だからこそ、戦闘シーンはしっかりと見せなくてはならないところだと思うのですが、カトキさんはそこを担っているわけですね。
安彦 映像では、戦闘シーンにすごくボリューム感が出ています。だから、『シャア・セイラ編』の全4話に比べて今回は尺もたっぷりと長くなっています。今までに比べてお得感がある映像になっているのは間違いないです。
—— そうした戦闘シーンだけでなく、安彦さんがこだわる政治的な部分や戦争が起こることに対する民衆のドラマなども重要な見所になっていますね。
安彦 「コロニー落とし」に関しては、漫画原作を描いている時も鬱々とした部分で描きたくないと思っていました。でも、あれは動かせない大設定なので逃げるわけにはいかない。気が重いと感じつつも、「あの落ちてくるコロニーの中に、どういう人がいて、どんな生活があったのか?」という部分は描くならちゃんと描かないといけないわけです。その人たちも一緒にコロニーが落ちて、その結果えらいことになるというのは、TVシリーズ時のナレーションで永井一郎さんも言っていますからね。受け止めるしかない。そこに重みをもって伝えなくてはなくてはならないので、そこが一番しんどい部分でしたね。「人類の半数を死に至らしめた」っていうけど、簡単に言えることじゃないわけです。ひとりひとりの人間が集まって1億なり、10億なりの形になるわけですから、そのひとりひとりを限りなく具体的に考えなくてはならない。そんな状況の中でドズルが罪悪感に苛まれて、ある意味人格が変わるのです。今までは、アニキに頭が上がらない三枚目でしたが、コロニー落としに向けた作戦で体験したことからひと皮もふた皮も剥けました。最終的にはギレンとキシリアの政争に対して「あいつらが国を滅ぼす」とまで言えるようになる。そういう部分を踏まえてドズルの演技は重要になるので、僕は三宅さんに挨拶をさせていただきました。コロニー落としはいろんな人の人格を変えるような大きな節目だったのです。ただ、悲しいかなドズルは「俺は何億人ものミネバを殺したんだ」と言ったところから立ち直ってしまうのですよね。戦争という殺人を彼なりに正当化する。
—— どう前を向いていくのかという部分が描かれているわけですね。
安彦 一場の芝居で変わるというのはある意味象徴的です。人間はそういう生き物なんです。悲しいことに懲りない性分というか。だから、そうした色んな意味合いがあそこのドズルの芝居にはあると思います。一方で、「ルウム編」に関しては、シャアは赤い彗星という名前をもらうことになり、華々しいデビューを飾ることになりますが、話の大きさ的には「開戦編」よりも退いていて、その分ドズルが前に出て、成長したセイラ、そしてアムロたちも出てくるという形になっていきます。
—— アムロやフラウの活躍にも期待していいという感じですか?
安彦 アムロの登場シーンは漫画原作よりもはっきりと増えています。漫画原作だとページ数などの関係で描ききれなかったところもあり、またここまで描こうという意図も無かったです。でも、映像化にあたって改めて見てみると、漫画原作に描かれていた要素だけでは、まだアムロたちが中心になって活躍する本編にいくまでには足りない部分が多いと感じました。弓に例えると、もう少し引き絞らないと本編まで飛ばないよということですね。
—— その他、『ルウム編』で注目して欲しいポイントはどこですか?
安彦 『ルウム編』はサイド2、ハッテから始まり、サイド5を舞台としたルウム戦役での戦争の話になりますので、その要素を受け止めていただいて、変な言い方ですが「スペクタクルな戦争」を楽しんで欲しいというのがあります。ですが、基本的には恐ろしい話であるというのは絶対に外してはいけない部分だと思います。残念なことに戦争というのはものすごく恐ろしいのですが、すごく格好いいんですよね。そこに戦争の魔性みたいなものがある。だから、その両方を見て欲しいなと思っています。先日、片渕須直監督の『この世界の片隅に』という作品を観たのですが、その描き方にはまったく同感でした。戦場を過酷に描くということで怖さを表現するというやり方もあると思うけど、それをほとんど描かずに庶民の日常を描くことで、むしろ逆に判る怖さがある。「この人たちの生活や存在がどうなってしまうのか?」と。焼夷弾が落ちたらこのささやかな営みが消えてしまうのだよと。それが何万、何千と集約するわけだから、どれだけ怖いことかと。実際の流血の修羅場ではなくて、そこは想像力で受け止めるところなのですよね。そういう部分は漫画原作を手掛けている時も意識して描いていたので、我が意を得た気分でした。
特に宇宙戦争は下手をすると花火大会になってしまう。でも、現実的に考えれば、一隻撃沈されれば、そこにたくさんの人が乗っていて酷いことになっているわけです。毒ガスを使って一般人を巻き込んで、さらにコロニー落としをするとなればもっと酷い。そうしたところを浮ついた気持ちで描いてしまうとガンダムはとても罪な作品になってしまうのですよね。だからそこは大事に、気を使って描いています。例えばコロニー内でのシェルターに避難する市民たちを描いたモブシーンでは、その中にどんなお年寄りや子供たちがいて、どんな表情をしているのか。そういう部分にもこだわっているので、ぜひしっかり見て欲しいですね。
—— では、最後にファンにひと言メッセージをお願いします。
安彦 『機動戦士ガンダム』の前史としてとても大きなウエイトを占めているコロニー落としを含めたルウム戦役という戦いを、第6話まで完成していない状況ですので過不足なく描けたと言い切っていいかはわかりませんが、ここまでの手応えからすると相当描けているのではないかと思っています。『THE ORIGIN』過去編のクライマックスという形でご期待に添えると思いますので、どうぞじっくり御覧ください。リレーインタビュー連載、次回はサンライズのプロデューサーの谷口理さんが再登場です。谷口さんにも『シャア・セイラ編』完結の感想と『ルウム編』に向けた意気込みを語っていただきます。